「貧幸時代」

 この世に生を受けて75年、若年期の委細は省略。持続不可能な道へと歩む人類は、20世紀中に破局を迎えると確信して30歳で立志、生まれ育った東京を離れ、父の郷里、天草で帰農した。安藤昌益の“直耕”の二文字を背負って野良に立ち、手植え、手刈り、かけ干しの米作り。自分の下肥を汲んで田畑に戻し、一連の循環の上に生活の礎がすわった時、初めて人心地が付いた感覚を得て伴侶を迎え、二人の娘を自宅で取り上げた。しかし想定外の21世紀を生きることになり、家族とは別居、独居自炊の暮らしに‥。70の齢を超え、長老の一喝が欲しいと思っていたところに倉本さんの呼びかけ文が耳に届き、目が不自由ながら口述筆記で応募する次第。小生の日々の心がけと暮らしの様子を述べてみる。

 朝起きる。トイレに入る。長方形の便所紙を半分に切り、お尻を3度拭く。風呂場に行き、残り湯で大小の便りの出口を洗う。日中の小さな便りは終わったら指か手の甲で雫を拭き取り、舐める。「飲尿」を10年した経験から尿を口にすることに抵抗はない。こうすることで下着の洗濯を月に1~2度で済ますことができる。洗濯は手洗いで、脱水機だけ使う。

 食事は玄米菜食が基本。野菜は菜園に自然更新する「野」菜10数種類、それにタケノコや自給果樹類9種類。麦、ゴマ、ナタネなど畑菜も妻のところから回ってくる。燃料節約のため、玄米は七輪で3日分を一度に炊く。炊いた日の玄米釜は冬場は湯たんぽとして布団の中へ。風呂は焚き木で沸かし、燠(おき)は消し炭として七輪に使用(玄米は圧力鍋で焚くので堅炭を使用)。60 ~70度まで熱く焚き上げ、入浴前の湯はお茶や料理、冬場は二日目の湯たんぽにも使う。冷暖房の器具や冷蔵庫はない。夏場は食材を井戸に吊るして保冷。電気代は、10アンペアの基本料金に1日1キロワット程の使用量で月に700円から800円程度で済んでいたが、5年前に玄米備蓄用の保冷庫を買ってからは、夏場は倍近くになってしまった。どんぶりやフライパンは洗わず、へらできれいにする。皿は舐める。鍋はへらできれいにして軽く水洗い。使った廃油石鹸はこの10年で1個くらい。

 この暮らしには、さほどお金がかからない。自分の実力が上がる一方で、同時に手掛けたもの、あるいは人の作ったものは使い切るまで大事に使うようになる。かくなる暮らしの中でたどり着いた結論は、人の真の実力とは、自然の力を最大限活用すること、そして自分を含めて人の力を最大限引き出し磨き上げること。

 同輩の老人たちよ。倉本さんの呼びかけに応えて、町から足を抜き、大地の上に立ち戻ろう。体力が落ちた分は若者に補ってもらい、彼らに年金を回せばいいのだ。

 「貧幸」。それは手ごたえのある日々の積み重ねの上に磨き上げられた自分の姿ではなかろうか。それが一個の命のゴールでもあり、社会のゴールのイメージとも重なったとき、持続可能な世の中は実現しているだろう。めでたし、めでたし。

          

中井 俊作(75歳)

年金生活自給農

「貧幸時代」” に対して1件のコメントがあります。

  1. 川合等 より:

    電話ありがとうございました
    「天草 1000年」だけは覚えていましたが
    やはり忘れていましたが布目さんより連絡をいただき
    サイトを開くことができました
    たくさんの著作物ですのでゆっくり見させていただきます
    お元気なようで喜んでいます

    良い年をお迎えください

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