革命はいろんな形がある。社会を変えるには、同じ高さ(立場)で勝負することと地面(人)から変えていくことの2通りがある。これからの天草での活動を地面から変えていけるものにしていきたい。

 年に300万円稼ぐ人と1億円稼ぐ人がいる。しかし後者が前者の30倍働いたのかと言われればそんなことはないだろう。同じ作業をやれば頑張っても30倍やれることはなかなかなく、ここまではっきり大きな差ができているのは物と物の交換のレートがおかしくなっているからだ。

 原因は二つある。一つは、システムが大きくなりすぎているということだ。例えば外国の会社で日本の会社よりも広く使われている会社がある(サービス、物)。それがAmazonだ。Amazonはとても大きく楽天などの企業はその陰に隠れ、時間とともに小さくなっている。一度人の頭、世の常識に「ネット販売はAmazon」、「音楽はアマゾン」、「速達はアマゾン」などのイメージができてしまえばそれだけでほかの企業の価値が下がる。大きな企業には世界、日本中のお金が集まる。そのお金の何割かが一人の人にいくので大きな仕組みは大きな差を作る。大きすぎる差かもしれない。このシステム(社会)では良いアイデアを持って成功した人にお金が集められる。

 もう一つは、権力を持っている人の多くがお金持ちだということだ。彼らは小さい頃から両親の世の渡り方を見て「うまく」生きることを教えられた。そして子供にもその「うまい」生きかたを教えることになる。こうしてうまくない生き方(お金から離れる)を恐れる人たちが生まれる。

 この二つの理由で広がっていく差は、自然と共に生きる人の生き方としてはおかしいが、現代では正しい生きかたともいえる。お金があると選択肢が増え、やりたいこともやれるが、お金がないとぎりぎりの生活をすることになり、選択肢がとても少なくなるからである。今の時代は力(経験、過去)がないとそのレベルの人とは話せない時代でもある。

 初めに書いた同じ高さで勝負するには力が必要である。社会でお金が通用しなくなるまで(いずれ訪れるであろう食糧危機、革命によって世界の頭(国の頭)が新しくなる時)にはまだ時間がある。それまでに、この人と人の間に大きな溝のある社会を歩きたいと思う。僕ははじめからお金から離れた生活をするのではなく、まずお金を稼いでみたいと思う。そのうえでどっちを取るか、両方だったらどっちに重きを置くか考えたい。

中井さんに初めて会ったのが2月の下旬、一番寒い時だった。私にとっては本当に過酷な4泊5日で、正直、もうここに来ることはないだろうと思っていた。それがなんとまあ、2か月半後には社団法人設立。天草に行くのも3回目。中井さんプロジェクトは、予想外なほどに大きく動いた。

 今後の天草での活動で私が楽しみなのは、旧役場の活用である。最初に簡易宿泊所を掃除した者として最後まで見届けたいし、本好きとしてはきれいになった図書館で一日本を読んでいたい。自然農法や養蜂にも興味があるので、2階の集会所で小さな講演会なんかもやってほしい。集会所にはレトロな雰囲気の講演台もあって、掃除さえすればなかなかいい感じだと思うのだ。

 ゴールデンウィークの天草滞在中にも、自然農法をやっていらっしゃる馬場さんのお話を聞いたが、とても興味深かった。こういった話は、大学ではなかなか聞けない。オンライン配信もやってみてはどうだろうか。講演を通して、天草自体に興味を持ってくれる若者も現れるかもしれない。

 この社団法人は、中井さんの、中井家が代々他の家から集めてきた財産・土地を、みなさまにお返ししたいという気持ちもあって立ち上げられたわけであるが、中井さんがどんな人かある程度知ってから聞いたことなので、それほど驚かなかったものの、本当にそういう人が存在するんだなあという気持ちだった。

 私は小学生の頃、マザーテレサの伝記を読んで、こんなに人のために尽くす人なんて実在するのかと疑ったが、その時の気持ちに似ている。私はそんな寛大な人にはなれないし、他人に 意地悪しようという気なんてないが、やっぱり自分のために生きたい。あらゆる人が、本当に、素直に自分の心が喜ぶ生き方をしようと思ったら、もう少し世界はうまく回って、誰か一人が、その他全員に思いを馳せて生きる必要なんてなくなるのでは、とも思っている。楽観的過ぎると思われるかもしれないが。

 今の私は、自分のことで頭がいっぱいだが、いつか自分が「自立」したとき、ほかの人を気にかける余裕ができるのかもしれない。私にとっての「自立」はできる限りの「自給」であり、中井さんから学ぶことは、まだまだたくさんある。

 数か月前までは全くの部外者だった私が、中井さん含め、今回の社団法人設立メンバーのみなさんと出会ったことには、不思議な縁を感じる。長いお付き合いになるとしたら、数十年。1000年の1割にも満たない期間であるが、肝心のスタートダッシュ。天草に生きる人・関わる人のために、この先もずっと続く何かを残せたらいいと思う。

学ぶことは今のものではなく少し先のものである必要がある。なぜならビジネスは新しいニーズを供給するからだ。20年後は世界がどうなっているのか、2040年はAIの発展によりほとんどの人が働かなくても生活できるようになる。AIが人の知能を超え人間に可能でAIに不可能なものはほぼなくなる。2023年の時点ですでに知能の最高峰といわれるチェスでAIが人に勝っている。将棋でも一時代を築いた羽生善治から冠を奪い新しい時代を築こうとする藤井聡太ですらAIには勝てない。20年で人の仕事が必要なくなる未来はなりえる未来だ。その未来が現実になった時、AIをいかに活用してビジネスを組み立てられるかが重要になる。コンビニのような仕事からなくなり、他の仕事、俳優、映画製作でさえもなくなる。残るのはAIを使う人だ。それ以外の人は働く場がなくなる。これは上に上がるための手段が奪われたともいえる。下にいる人は上にいけないので2極化が大きく進む。また、AIの力がさらに拡大し国の力を超える。そうなったとき国よりもどこかの企業が情報つまり力を持つことになる。人々の生活はというと全てが快適である。しかし、与えられたものを食べるという意味では刑務所のようにも見える。そこから出た不適合者すなわち自分たちで働きたい人々はできる限りの反抗として、ネットなどを完全に排除した空間で農業に取り組む。僕は農業のできる空間を提供することが国の最後の仕事だと思う。各地に少しずつそのような場所が作られる。AI社会ではそこを排除するのではなく、彼らにとっての不適合者を送る流刑地、刑務所として扱える。逆に農業社会での不適合者はAI社会に送られる。力を持つのはAI社会の方だが、互いに共通の利益を持つのでバランスを保ちつつあり続けると思う。AI社会に対して反抗する人はあまり出ないような気がしている。今の教育は特に日本では型に当てはめる教育が当たり前になっているからだ。これからは反発のできる人、農の中でリーダーになる人を育てる教育、もしくは、AIを活用し何をどこに作るかなどをすべてAIにできないものはないという前提でビジネスをやれる人、AI社会で金持ちになり成功する人を育てるかのどちらかだと思う。

「We start 「200ha project」from February.」

There are 200ha forest that are not used effectively in Amakusa. This project is to use it

for making new value. Specifically you make something on the 1ha by group of about 4. It

is good for CWB to create groups, and it is also good for companies, one person, friends. I

will give theme for them to make effective things. For example, the theme is to create a

place where children can live happily for a week or a place where old people can live comfy

for a month. And I will held competition in line with the theme. I think it will make participant

motivate. You cannot join this project now, but can join from summer(August, September).

We are making plan for precedent. The plan is that I and some my friends will go amakusa

and make the things like well and toilet, instant house on the 1ha during 7 days(2 out of 7

days sightseeing). First, we will make more detailed plan. And in march we will go and

make. I want you to join this project from summer. You can come and make through giving

me detailed plan. I am looking forward to it.

It lead world peace that increasing the people who have thinking of S. the peace cannot be

led by powerful weapons, it can be led by connection by the people living around the

world(citizen). We have to make connection more powerful by sharing thinking of S. Why it

led to world peace, the reason is when the people who have thinking of S do somethings,

we can feel that he have thinking of S. the act in line with thinking of S will expand

gradually. We often call gathering of people who have common idea community. The

people having same thinking of S will increase around the world and the thinking become

common thinking. It is connect for the people all of world.

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD155950V11C22A1000000/

Our society have many people living with things to make their life more comfortable and easier. They have a lot of items but most of items were used only once a year. This is problem we can solve. I have one proposal to solve it. The plan is that we use thing from repository which was shared by small amount ( 5 ) of people like family. In the past, economic growth depended on a large extent on the idea of producing and buying more and more goods. However, we are now entering in a new phase of society where we will use less and consume less, instead of constantly expanding. Our society are changing to make next society sharing resources or reducing expanding for getting more comfortable. We can get a comfortable life without the need for many things.

円安が進みついに150円台になった。スーパーでも少し値が上がっていた。150円台にのった後日本の中で今までと同じ生活をおくれるかわからない。食べ物がないと生きていけないのでこの先簡単に日本がおかしくなるかもしれない。最悪の状態すなわち食べ物が食べられない状態を避けなければならない。そのために使わなくていい部分にはエネルギーを使わない 日本全体で節電、都心から離れ生きるための生活に切り替えていくのがいい。家に畑をつくるとか。ロシア国民がウクライナ侵攻で生きられなくなったということを耳にしないのはそれぞれの家庭で果物などを育てていたからだ。

都心から何か起こる前に離れるには考え方を大きく変える必要がある。人はいろんなものに対しての適応能力がある。慣れだ。ロハストイレを人の目に少しずつ入れていくことで、慣れてもらいたいと思っている。ロハストイレはロハスなトイレだ。

トイレについてみていく。トイレは進化してきた。今は見ないぼっとんトイレから最新の暖かいトイレまでトイレの歴史は長い。人の歴史はトイレの歴史でもあるからだ。ぼっとんトイレを昔の人は当たり前に使っていたのになぜ今の人は使えないのだろう。僕は、今の人も慣れれば使えるはずだと考えている。そして使うべきだ。よりエネルギーを使わないトイレを。進化に連れて匂いもしなくなった。しかし、今も匂いを消すために膨大なエネルギーが使われている。

そんなエネルギーをあまり使わないトイレを考え、夏休みに実家に帰り、知り合いの山にロハスのトイレを作った。トイレの素材の値段は10万円(素材を変えれば安くできる)だった。トイレにはミミズの住む箱があり、やったものと水とを混ぜてドロドロになったものを、そこで微生物とミミズに匂いだったり塊だったりを分解してもらう。この仕組みの問題は人の体に含まれる相当な数の微生物や菌が他人に影響を与えるということだ。病気になったりする。やったものにも、もちろん含まれている。そこで、ミミズの箱を外せるようにし、箱を買ってもらい、トイレをするときには持ってきてもらうようにすることだ。匂いは分解と乾燥であまりないといわれている。わざわざこのトイレにミミズの箱を持ってきて、用事をすましてくれるには魅力がないといけない。僕が思う魅力は3つある。一つは仕組みを外に出して見えるようにしたことだ。なかなか見られるものではないし見たいと思うこともなさそうなので、人によっては全く見ない人生を送るかもしれない。しかし、都会のつながりの見えない仕組みの中でつながりを見ることができるというのは価値だと思う。見た人と見てない人で少し見方が変わるような価値だと思う。二つは塩素など微生物を完全に殺すものを使っていないこと むしろ微生物の力で分解してもらう。ここが一般のトイレとの違いだ。一般のトイレはすべてを殺すが、このトイレは見方によっては自然の循環の一部になっている。三つはミミズの箱の中身がとてもいい肥料になるということだ。堆肥をやると土が肥え、いい作物が育つ。ベランダ菜園などマンションに住んでいる人でも最近は植物を植える人が増えている。わざわざ肥料を直接買わなくても自分が出したものが肥料になりその肥料を受けた作物を食べられるという循環はすごいことだと思う。昔はどこにでも肥溜めというみんなのあれをためる場所があり、そこからそれを肥料として普通に使っていた。汚いものを隠さなくてはいけない風潮が広がってきているが、これは食べ物について考える機会を与えるなど色々といい勉強になると思う。これらの面白い面をうまく伝えることができれば、僕が彼らにお金を払うのではなくトイレをする人から50円でもお金をもらうようにできると思っている。そうなればこれをビジネスとしてやれる

僕にしか作れないものではなく誰でもどこでも(外国でも)作れる。このトイレの作り方、仕組みをトイレを求めている人たちに伝えることは助けになり彼らが広げることにもつながる。