持続できない文明って何?

 この事態を打開するには、多くの人々がこの政治状況に対してヒューマン・ポリティクスの必要性を誰から干渉されることもなく、意思表示できる状況が不可欠です。国や国家という言葉を使うと、あたかも人格をもった権力者が力を振るって多くの国民に号令をかけているように思いがちですが、ヒューマン・ポリティクスの時代にあっては、国という言葉は「みんな」という言葉に置き換えてよいものとなるのです。もし我々みんなが人と人とが争う戦争を願えば、戦争はいつまでも絶えることはないでしょう。しかし、もし武器を置いてみんなで平和の道を歩み出そうと意思表示すれば、その道は拓けるのです。

 今までの選挙制度では、ヒューマン・ポリティクスを担うような人材は表に出てきませんでした。報酬の額ではない、人々の幸せな顔を見ることこそが自分の報酬となるものだと思えるような人が、こののち必ず世に出てくるようになるでしょう。時代が人を生み、環境が人を育てます。SDGsの時代、他に道筋として示せるものはあるでしょうか。私には思いつきません。具体的に示せる方があったら、ぜひとも一刻も早く、世に提示してもらいたい。

 パワー・ポリティクスの力学の下、有史以来長く続いてきた人間の文明を私は成り行き文明と呼んでいます。戦火は絶えることがありませんでした。第二次大戦で核兵器という最終兵器の登場を見たものの、いまだに戦火は収まらず、東西の対立も尾を引いています。しかしこの半世紀の間、石炭から石油、天然ガス、原子力へと燃料革命の上に飛躍的に工業生産力を伸ばし、大量生産大量消費、都市集中化を進めてきたこの成り行き文明に持続可能な未来が開かれないことは誰しもが認めるところでしょう。時代の流れのなかで、為政者も国民も精一杯、課題に対処してきたには違いありませんが、パワー・ポリティクスのもとでは、人類総体の幸せを実現するゴールなど描きようもありませんでした。

 アメリカの先住民、確かナバホの人たちだと思いますが、七代先まで責任を持てる行いかどうかということを行動規範としていたと聞いたことがあります。原子炉でプルトニウムを生み出してしまった私たちは、十万年先まで責任を持たなければならないはずです。

 意地悪い表現ですが、見かけ上の発展を成り行きのまま生み出してしまったこれまでの文明の姿を私は成り行き文明と称したのです。

 持続不可能な成り行き文明に終止符を打ち、持続可能な文明に築き直さなければなりません。それは、ヒューマン・ポリティクスの下での一人ひとりの意思に基づいた歩みの上に築かれるでしょう。考える存在としての人間の人間たるにふさわしい文明、意志の文明とでも言ったらよいでしょうか。それが実現できないとしたら、人類の未来を語りようがない。ともに意志の文明への道を歩もうではありませんか。