自然の力を最大限活かし、人の力を最大限引き出す

 しかし、SDGsに向けての対応が不可欠となった21世紀では、ヒューマン・ポリティクスで答えを導き出さねば、展望が開かれません。ヒューマン・ポリティクスとは、力や脅しで相手を屈服させるようなことでなく、自分が相手の立場に立った時にどう考え、何をするかを自問自答して相手と話し合う、「己の欲せざることを人に施すことなかれ」これは、どの宗教にあっても、共通した心得と言えるでしょう。強制されたり、押し付けられたりした仕事でよい成果は生まれません。結局、優位で強い立場にある人がその心のゆとりをもって条件不利で弱い立場にある人をおもんばかって先に手を差し伸べ、譲らなければ相手の心が和まないとは先にふれたとおりです。衣食足りて礼節を知る、先述したベーシックインカムのように生活補償をすると人は怠けものになるとよく反論して言われたものですが、この先は失業を恐れることなく、本当に自分の取り組みたい仕事に打ち込める世の中に歩み出したい。もし、何をしてよいかわからない、あるいは、怠けているようにしか映らない、そういう人たちが目に留まるようなときは、それこそ政治家の出番です。

 ヒューマン・ポリティクスの時代、人の真の実力とは、自然の力を最大限、応用・活用して、お金を費やすような消費生活をセーブし、人の社会にあっては、例えば、今まで一度もほめられたことのなかったような人が自ら歩み出せるような勇気を与え、その人の今後の心の支えとなるような手本を示し、その人ならではの才能、あるいは力を引き出すことができる行いこそ、真の実力だとみなされるでしょう。

 率先垂範、言行一致、先憂後楽、並の人々が得る報酬以上の報酬は決して手にしない。

 実力が高ければ高いほど、いわば一番低い報酬で身を処するのが望ましい。それが政治の世界でのリーダーに望まれる第一の要件ではないでしょうか。
 今までのように受験や戦争で過当な競争の中を潜り抜け、知的な能力ばかりが点数で比較されて優劣の序列が決められると、自ずと肉体的な負荷のかかる労働は軽んじられることになります。職業に貴賤はないとは言葉としては使われてきましたが、実態としては額縁に飾られた空文句で終わっていて、今日で言うところのエッセンシャルワーカーと呼ばれる人たちの働きは不当に低く評価されてきました。
 確かにAI、ITなどという情報処理技術を駆使してロボットなどを使えばかなり肉体労働の世界は減らせるように思えるかもしれませんが、もし一度「太陽風」と呼ばれる電磁嵐や今後増えると思われる自然災害などで、科学技術の成果が十分機能しなくなった時、特に都市に住む知的労働者は途方に暮れることになるでしょう。都市の消費生活に依存してきた人たちは、自分の命を支える具体的な知恵や技や力も持ち合わせていないでしょう。

 仮にそのような緊急事態が起きなかったとしても、ロボットを作って動かすには、相応に裾野の広い産業分野とエネルギーが必要となります。大きな気候変動に会えば機械化された大規模な農業も思うような収穫に恵まれるとは限りません。

 今の時代、知的労働者ほど高い給料をもらいがちです。教育の機会や世の中を知ることの機会に十分恵まれなかった人は「俺たちはいつも頭のいい連中にこき使われ、その踏み台になっているのではないか」と言葉にはしないまでもどこかでそう思っているに違いありません。食糧危機などの事態に至れば事態は一転します。食糧危機とまで言わずとも、かつてカンボジアのポルポト政権の元では、都市に住む知識階級はいとも簡単に殺戮の対象になりました。簡単に人を殺戮する心の動きは「多分こいつらは俺たちの知らないところで良い目に遭っていたに違いない」と、一方的に思い込んでいたからかもしれません。

 学問研究の世界などでは、それこそ気の遠くなるような実験などを繰り返し、新たな技術開発の基礎研究の成果を生んだりすることがありますが、実際の社会には何の役にも立たずに終わってしまう研究だってあるはずです。その大変な努力は人の目には映りません。

 逆に知的労働の世界で凌ぎを削り、特殊な研究集団や企業のデスクワークの世界に身を置いてしまえば、現場でどのくらいの人々が汗をかいているかが見えなくなってしまいがちです。

 とにかく、今日の工業化社会は、とてつもなく裾野の広い産業間の相互連携の上で成り立っているわけです。その全体を円滑に運営するだけでも大変な作業で、人同士が争ってなどいられるわけがないでしょう。近頃、自国ファーストというような言い方が往々にして政治家の発言に見受けられますが、それは過去のものとすべきパワー・ポリティクスの時代の掛け声と言えるのではないでしょうか。

 こう考えていくと、教育や医療の無償化は体制の如何にかかわりなく、当然の施策となるでしょう。ベーシックインカムも実現していれば、生命・障害保険などのお金も用意する必要もなくなり、火災保険なども先に述べたように、軍事・軍需関係の人たちが災害復興のあとに力を注ぐような形で、ある水準までは無償で復旧できるようにする。いわば、人間の医療費無償化と並ぶ生活ハード面の無償化というものでしょう。