もしも政治家になっていたら‥
かくして天草で半世紀、齢も75を数えました。今から国連の事務総長は望むべくもないかもしれませんが、若い頃からもし事務総長になったら、報酬はいらないから代わりに交通機関はただで乗せてもらえ、寝袋を持ち歩くので訪ねた先々のお家で宿を乞うた時には、雨露をしのげさえすれば寝袋を広げるだけのスペースをお借りし、食べ物は訪ねた先で残り物や余り物があればそれを頂き、町を通った時にお店や食堂があればそこで食べ残したものや消費期限が切れたものがあればそれを食べて飢えをしのぎ、最もつらい立場で過ごす人たちのところを訪ね歩き、紛争が起こる地域があれば仲裁に入り、それぞれのリー
ダーが関係者の前で堂々と主義主張を述べる場を用意して司会役を務め、日常の事務的実務的な仕事は事務次長にお任せするという生き方を夢みていたものでした。
もし日本の国会議員になっていたら、その時は健康で文化的な最低生活を営むということで、制度化された生活保護制度で支給する金額だけをいただくつもりでした。それで国会議員の仕事が務まるかと問われれば、国会の議場に入るには背広にネクタイ着用ということでしょうから、年がら年中一張羅で通してしまうつもりでいました。規程上、議員に支給される他の歳費・経費は供託するなり、とにかく一人でも多くの人が大地の上に暮らしを移せるようなことに使ってもらいたいと思っていました。
立法府の議員としては法律を作成することが役割と皆さん、思っておられるので、そんなことですむかと言われるかもしれません。私はこう考えました。日本の場合、国会議員として外交・防衛、予算・決算などの審議と決定が大きな仕事と意識されるでしょうが、21世紀の今日のような状況にあっては、世界の中の日本の国家議員の役割は、他国で国の方針を決める人たちと交わり、相互理解・相互協力の道をともに拓き、国を超えたこれからの人類が目指すべきゴールと道筋を示していくことだと考えます。
この地上から武器をなくす、容易なことでは実現できるとは思いません。コスタリカという国は軍隊をあえて持ちませんでした。しかし、続くところはありません。そのような世界の中で、実は軍事費世界第9位に位置する日本ですが、憲法9条に戦争放棄という比類なき条文を有し、地上から武器をなくすという働きかけに取り組むに最もふさわしい国柄なのですから、本来はそれこそ、その条文を活かさぬとすれば、宝の持ち腐れというものです。
というわけで、国会議員の大きな役割は、世界中の各国に働きかけをするために、国会開会中以外は世界を飛び回っている、日本にいるときは鍬を握って野良に立っている、要するに、ゴールを目指して武器やマネーゲームを、貧困や格差を、あるいは都市に集中しがちな富や人を大地の上に立ちやすいような手本を示すことだと思うのです。
じゃあ、国会議員が今しているような内政の問題をどうするか、これは各県の県会議員、あるいは、都道府県の行政のトップである知事部局、こういう人たちがそれぞれ自分たちの地域の事情を反映した施策を持ち寄り、審議して法律の作成を心がければよいのではないかと思っています。さしずめ、知事や県会議長が集うてその役割を担う。県の条例づくりなどは各市町村の首長議員が担う。では、市町村の課題は誰が担うかといえば行政区長が担う。自治会・町内会など十分組織されているとは思えない都市部では考えねばならぬことがありますが、私が住んでいる農村ではあるまとまりをもった集落ごとにほぼ直接
的な方法で区長が選ばれています。日常的に住民から望まれるような施策は区長がほとんどわきまえているといってよいでしょう。都市部にあってはそれは望むべくもなく、しかし代わりにSNSなどインターネットを活用すれば補うことが出来ると思われます。
乱暴な言い方をしましたが、防衛軍事に関わる課題が心配なくなれば一国の外交内政は簡単明瞭、人々の幸せづくりのための施策に邁進できるでしょう。軍事防衛に関わる人たちが今後安心して民生上の諸課題に役立ってくださるのならば、世界は見違えるほど過ごしやすくなるでしょう。この地上に職業軍人がいて武器ある限り、人々の不安を煽り立て自らの立場を築き、支持率を上げようとする政治家が後を絶たないことでしょう。人々の側に立ってみれば、誰が好き好んで戦争などしたがるものでしょうか。不安を掻き立てられ、憎悪憎しみの種を撒かれ、例えば自国民が故なき迫害を受けているとか、婦女子が性的暴行を受けているとか、要するに自国民を守るために必要だという口実の下にどれ程多くの戦端が開かれてきたことか。流される情報の真偽を確かめるのは非常に難しく、一度相手を疑う態度を取れば疑心暗鬼の言葉通り、相手を憎悪嫌悪し、相手と向かい合わざるを得なくなるものです。これが20世紀までのパワー・ポリティクスのもとでの戦争の歴史であったと言えましょう。