使い切れない土地はみんなが使える仕組み作りを

 よその国の事情はそれぞれでしょうが、土地の所有ということに関しては自ら使いきれない土地は、それをSDGs的配慮の元にみんなが使えるような仕組みを作ることが急がれます。都市に集まった人々が少しでも大地の上で汗をかくような暮らしに、最近の言葉で言うと半農半X的なライフスタイルに移行することが望まれます。

 いま農村に移住する若者が少しずつ増えていますが、皆暮らしを支える現金収入をどう手にするか、それが大きな壁となって立ちふさがっています。私は最近、政策としても名前が出始めたベーシックインカム(すべての国民に最低限の生活を保障する支給金)というお金が自給自足を目指す人たちに一人当たり50万円でも支給されるようになれば、かなり移住する人が増えると思っています。

 私の場合、祖父の代に育林した杉やヒノキの立木を売って、そこに家族4人で公租公課などは別として俗にいう直接的な生活費(食費、光熱水費など)は、年間50万円の予算で20世紀中は何とかしのげるような生活設計をしました。厳密にいえば、様々な事情の中でストックしていた貯金を困っている人に回してしまうなど思うようにいかなかったところもあって、途中から妻のパート収入が暮らしを支えるようなことにもなりました。

 社会的活動に必要だと思われるお金は別に政治団体のお金として、年間50万円ほど(主として書籍代、交通費、調査研究費など)プールしていましたが、収支報告書を含め、内容は全て公開できるように諸資料など手元に保管するようにしていて、私自身の暮らしの中身は人様の目に晒すことが可能なように過ごしてきました。諸事情は割愛しますが今、年間80万円ほどの年金で独居自炊できる限りの食物の自給を図って過ごしています。

 いちいち細かいことまで申し上げたかもしれませんが、政治家を志す以上は言行一致は当然のこと、率先垂範も当然のこと、先憂後楽も当然のこと、自ら貧乏くじも引く日常生活のリスクがあれば自分がそれを引き受ける。もちろん、中には私にできない仕事もありますが、自給的な素人仕事で一番危険な仕事は、いつも自分が引き受けるようにしてきました。山林の木の伐採、屋根の修繕などの高所作業、人に任せればもし万一の事故が起きたら大変だと思う作業は、自分が引き受けるようにしました。それぐらいのことはしてこなければ人の前で口を開く気持ちになれません。ささやかながらリスクは率先して引き受けるという政治家の立場をとっていたかったのです。