では、この100年何をしているか。一次、二次世界大戦を経て最終兵器まで生み出しながら、理比曲直をわきまえ切らず、軍備・軍隊・軍需産業を残し、マネーゲーム、都市の肥大化、勝者の立場で手にした既得権益の存続などを許し、化石燃料、原子力などのエネルギー源を用い、加速度的に大量生産・大量消費・大量廃棄の時代を現出し、爆発的な人口増加と相まって持続不可能な道を歩み続けている。

 では、この先どうしたらよいのか。二つの条件をクリアしない限り、答えは明白。一つはクリーンで廉価で手軽に利用できるエネルギー源が調達できるかどうか、もう一つは人間が食べ方を変えられるかどうか。80億に迫ろうとする人口を栄養不良に陥れることなく、支え続けられる食糧を持続的に調達できるかどうか(肉食は相当制限されることになるだろう。お金を出せば、美味しいものが食べられるという時代は過去のものとなる)。この2つの条件をクリアするのはまず不可能とみる。この100年の人類の歩みは、地球生態系の結晶とも例えた存在が、こともあろうにその生みの親である地球生態系を台無しにしかけているのが実情だ。100年前には想定もできなかった事態の上で今、我々は過ごしている。科学的知見がまだ十分とは言えなかった時代であれば、致し方あるまい。日本では大正時代末期の頃だ。欧米列強にいかに伍していくか、それが日本の課題であった。それから100年、過程はどうあれ、世界で屈指の経済大国と言われる日本となった。その日本で他国と比較した話が出る折に日本の常識は世界の非常識と言われるような場面が紹介されることが多い。ガラパゴスと言われる所以でもある。しかし、先ほど来、私が述べてきたような発想からするならば、世界の常識と言われる通念の多くが持続不可能な路線に導いているのだ。強い者が弱い者や物言わぬ自然から奪い取ってくることに抵抗を感じなかった開放系の思想、一方で、他から奪いようもない島国に吹きだまったような日本の閉鎖的な思想(己を知り、足ることを知る観念に導かれる)。現代ではすでに地球全体が閉鎖系の上にあることを認識せざるを得ない状況だ。

 持続可能な人類社会の道筋を描くとするなら、閉鎖系の中に生きてきた日本人の感性が(近頃は忙しすぎて見失ったようだが)、他の世界の人々に大きな標となることだと私は思っている。この際、地球外に移住するというような開放系の抜け道を論じるつもりはない。では、その日本、どれほどこの地球上で比類なき、気候風土に恵まれていることか(この恵まれた国、日本については別稿で触れたい)。要するに、亜熱帯から亜寒帯まで、各地の様相を一鉢の盆栽に畳み込んだような風土なのだ。100年前には食糧自給率は8割を超えていただろう。それが今や経済大国になったがゆえに4割を切ってしまった。日本ほど世界中から様々な食物並びにその他資源を輸入している国はあるまい。スーパーは原産地世界各国の食べ物で溢れている。だがしかし、これは一場の夢、持続不可能路線の賜物でしかない。持続可能な標を提供する前に調達した食べ物のご恩返しをしなければ釣り合わぬ現実だ。できる人からできるだけ、大地の上に足を戻すことから始めよう。

 山は登るより下るほうが、ものは作るより維持・保全・後始末のほうが、戦は始めるより終わり方のほうが難しい。100年かけて踏み違えたのなら、1000年かけてでも歩み直し、万年に続く、いや地球が天寿を全うするまで連れ添えるような文明にしよう。天(宇宙)の下に生きる民草の意気地というものだ。              (代表理事 中井 俊作)